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島の365日

炭鉱のまち

 

私の故郷は、福岡県田川郡福智町(旧赤池町)です。

 

「福岡筑豊の出身で、炭鉱のまちの出身ですよ。」とご挨拶すると、それだけで、年配の方々には、その地域柄が”ピン”と伝わるほどです。

 

炭鉱の象徴といえば、「ボタ山」です。このボタ山、私が小さい頃は友達と一緒にのぼり、石炭の探したものです。炭鉱節にでてくる「黒ダイヤ」です。今回の里帰りでその場所へ行ってみましたが、自然の一部へと化していました。

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役場(赤池支所)の近くには、明治鉱業赤池炭鉱の殉職者鎮魂碑が建立されていました。

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上部に取り付けられている黒い四角すいは、ボタ山を表わしているようです。

私の祖父が勤めていた明治鉱業赤池炭鉱は1899年開坑、1970年に閉山。石炭の生産量は、1950年代前半がピークだった。

(亡)祖父や父の記憶の中に鮮明に焼きついている炭鉱の風景は、残念ながら、今の筑豊にはほとんど残っていませんが、その頃の記録として、1960年に製作された映画「筑豊のこどもたち」があり、明治赤池炭鉱の人々がエキストラで出演しているようです。

いつか、その映画を、父と私の子と一緒に見れる日が来るといいな・・、今回里帰りした思いです。

 

以下、赤池炭鉱殉職者鎮魂碑 同碑文より

昭和20年代後半からのエネルギー革命により、今やその使命を終えたとはいえ、明治以来、大正、昭和の長きに亘って、日本の驚異的な産業経済の発展を喚起し、索引し、激動時代を支え続けてきたものは、正に石炭産業であり、 炭鉱に働いた幾多の人々であります。
赤池町は筑豊炭田の一翼を担う明治鉱業株式会社赤池炭鉱によって最盛期には1万7000余の人口を擁するほどに栄え、生活する 人々の活気は強力なエネルギーとなって町全体を潤していました。
昭和45年1月、時代の趨勢(すうせい)には抗し難く、終に全面閉山の已むなきに至りましたが、この間尊い一命を報じて殉職された520名の方々の、国を富ませ、町を富ませた功績に対し、心から敬意を表するために、ここに鎮魂碑を再建し、末永くご冥福をお祈り申し上げます。
平成6年5月吉日 赤池炭鉱殉職者鎮魂碑 再建委員会

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